愛燦燦朝日夕陽をふたりじめ



御来光海のギャラリー朝夕に
海ほど美しいものはない、でも、海ほど恐ろしいものはないですね。
禄剛崎って難しい字を書くんですね。この字の由来は何だろうと思って調べたら、古来海難事故を防ぐために、沖を行く船にかがり火を炊き、安全に船を導くために、狼煙を上げたことだといわれます。また、外国からの侵攻の見張りの役も果たしていたといわれます。
“喜びも悲しみも幾年月” やはり、灯台っていうとこの曲ですね。動画で改めて歌を聞いてみると、過酷なほどに美しい海に圧倒されます。古くは奈良時代に見張り所が置かれたとのことですが、現在の禄剛崎灯台は1883年(明治16年)に建てられたそうです。明治の時代の白亜の石造りの灯台。まさに時代の黎明期に、海難事故も多かったといわれる海域で140年余も、暗い海を照らし続けてきたんですね。驚くのは、この灯台は海抜48メートルの海岸段丘上にあるということです。当時、最新式のフランス製レンズは、生まれたばかりの明治新政府を守るかのように、沖合18カイリ(約33Km)まで照らしたそうです。2024年の元日に発生した能登半島地震で、この灯台のレンズが破損したそうです。漁師の命を一筋の灯りで守り通した、フランス製のレンズ。補修用の部品や技術者の問題で、そのままの復旧は困難だとか。地域の方の地震からの復興の象徴ともいえる、禄剛崎灯台のレンズの復活を願いたいです。
愛燦燦朝日夕陽をふたりじめ
現在、禄剛崎灯台一帯は、能登半島国定公園の代表的な景勝地になっています。実に、1500万年前といわれる、地層の成り立ちが見られるそうです。いにしえの地層に案内されるように、岬自然歩道が整備されています。
灯台の崖の下には、「千畳敷」といわれる、平らな海食棚が広がり、干潮満潮の海の動きにより、この千畳敷も姿を現したり、没したりするそうです。
大自然に見られる神の摂理というんでしょうか。この現象は、禄剛崎灯台からの、朝日夕日の絶景スポット、一歩も動くことなく、朝日夕日が見られることと偶然とは思えないくらいです。
禄剛崎灯台は最果ての観光地かもしれませんが、最果てゆえの奇跡の景勝地といえると思います。
揚げ浜や綱を輩出塩を撒く
奥能登の揚げ浜式塩田による製塩法には、長い歴史とその技術を伝承する人々の熱い思いがあるんですね。話は唐突に変わりますが、平穏な江戸時代を震撼させた、赤穂藩四十七士による忠臣蔵。赤穂藩も製塩の産業が盛んでしたが、それは入浜式製塩法でした。潮の満ち引きを利用した製塩法に対して、奥能登のそれは、まさに横綱が塩を撒く姿を連想させます。重労働をものともせず、内浦、外浦、日本海外海の、三方からの潮風に乗せるように塩を撒く姿。カッコいいですね。
誇り高い、「狼煙」の名をそのまま屋号にした、道の駅狼煙。
里山の産「大浜大豆」里海の産「天然にがり」その結実の狼煙の地豆腐や特産品はバラエティ豊かです。
おぼろ豆腐、絹ごし豆腐、木綿豆腐、あげ豆腐、さらにわらび餅まで。
復興に必要な様々なインフラの整備には、多くの困難が伴っていますが、少しづつではあっても着実にその歩みが進むといいですね。