愛燦燦朝日夕陽をふたりじめ

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御来光海のギャラリー朝夕に

愛燦燦朝日夕陽をふたりじめ

揚げ浜や綱を輩出塩を撒く

道の駅狼煙に地豆腐継ぐ百年

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日の本の四海は凪ぐも時に荒れ民に寄り添い国を治めん

「天孫降臨」・・・わたくしなど無宗教で信心深くない者には、ちょっと近寄りがたい雰囲気を感じるフレーズです。
神々が住む天上の世界を「高天原」っていうんですね。ここで、「天照大御神」は、地上を治める神として、孫を遣わすことを決めたそうです。以前、神話の発祥の地として、九州の宮崎県がいわれたときも、連想したのは「屋久島」の縄文杉でした。樹齢も数千年とか聞きますと、何か人智の及ばない、神の意志が働いているような気さえしますよね。地上を治める命を受け、孫のニニギノミコトが、ここ高千穂の地に降りたといいます。道案内役はよく神社で見かける猿田彦。ニニギノミコトは美しい姫、コノハナサクヤビメと出会い、結ばれます。コノハナサクヤビメと聞いたとき、ちょっとビックリしました。
前橋市の岩神稲荷神社に祀られている神様で、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)という女神がいますが、この方と同じ女神なんでしょうか。岩神稲荷神社の木花咲耶姫命は、巨石が空を飛んできたのかと恐れられながら、地域をどっしりと、かつ優しく見守ってきた女神です。子宝、安産、子育ての神として。「乳銀杏」といわれるご神木と合わせ、「梃子でも動かない巨石」として、地域の安全と子供の成長を見守っています。
話はそれましたが、神様って、意外と身近にいるんだなあと思います。
天の血筋が地上に根付いた一方の主役。コノハナサクヤヒメが前橋の岩神稲荷神社に祀られている・・・神話もなかなか楽しいですね。

あぁ妻よ鳥居峠で宙に呼ぶつがいのヤマドリ嬬恋離れず

東征伝説って各地に残されていますよね。縄文時代から弥生時代にかけて、稲作や土器などが朝鮮半島などから伝わった頃、どうしても地域間で争いが生じます。東征をするほうには大義名分があっても、東征をされるほうは、平穏な生活を乱され、自由が侵害されます。東征の「ヤマトタケルノミコト」も、歓迎されないこともあったと思います。ヤマトタケルには使命感とともに、言葉も思うように伝わらない焦燥感があったかもしれません。でも、東国には東国の文化や誇りがあります。当然地元の人々との軋轢や争いもあったでしょう。ヤマトタケルの妻、弟橘姫はそんな様子に心を痛めていたのかもしれません。姫は船上で悲しい決断を下しました。姫は東征の途上、わたつみの神のお怒りを鎮め、東征が無事成し遂げられるよう、今の横須賀沖になるんでしょうか、走水から入水したと伝わります。ヤマトタケルの衝撃は相当のものでした。東征の帰路、ヤマトタケルは群馬県と長野県の県境の、諸説ありますが、鳥居峠から雲海を眺め、走水の海に身を投げた弟橘姫への思慕断ち難く、嗚咽とともに、
「吾嬬はや(あづまはや)」(我が嬬よ あぁ)と三回嘆き、叫んだと伝わります。
わたくしなどは、この話の概要を聞いたとき、どうしても現在の碓氷峠を連想し、急峻かつ曲がりくねった旧道の峠道のことかと思っていました。この道は国道18号線の旧道で、その道の険しさと、片峠といわれる、群馬県側に落ちる急な勾配で、車の運転には細心のご注意が必要です。
ヤマトタケルが悲しみをこらえ切れず、妻の名を叫んだ場所は、四阿山(吾妻山 あずまやさん)に至る山道と、国道144号線が交わる場所にある鳥居峠からとされています。当時のことですから獣道が、地元の人々の狩りや山菜採りの道に発達したような感じだったんではないでしょうか。文献によれば、「日本書紀」に記されている「薄日坂」は、当地では昔から鳥居峠と呼んでいたとされています。
多くの方々の研究により、「吾妻郡嬬恋村」いう地名には、それなりの根拠があり、迫真性のある伝承のような気持になりました。

余談ではありますが、現在群馬県は、東京などでの移住相談の機関などで結構人気があるんですね。何か、2年連続で一位の栄誉を得たとか。今までこういった指標で上位になった覚えがないので、悪い気持ちはもちろんしませんが、ちょっと座りが悪い気もします。
群馬県の移住人気第一位の栄誉に輝いたのは、嬬恋村が大きく貢献していることは間違いないと思います。
人はきれいな水と空気の環境で生まれ、育ち、かつそこで天寿を全うする。
言うは簡単ですが、嬬恋村の美しい大自然は何物にも代えられません。
平和な村に笑顔があふれ、新鮮な高原野菜が、子供の成長や老いの安らぎに彩を与えてくれます。
世界のリーダーたちも角突き合ってばかりいないで、嬬恋村でキャベツでも召し上がりながらサミットをやったらいかがでしょうか。