文月やあばれ祭りの大絵巻


ⓒ石川県観光連盟
能登半島には、夏を彩る数々のキリコ祭りがありますが、戦国の世の先陣争いのように、あばれ祭りが夏の祭礼の火ぶたを切ります。宇出津港は定置網の漁港としても知られていますが、やはり交易が盛んな港ほど、疫病には悩まされたようです。江戸時代の寛文年間といえば、振袖火事といわれた明暦の大火のあとでもあり、幕府も人心の安定には苦心していたようです。大きないくさこそなくなったものの、疫病の防止は徳川治世の大きなテーマだったでしょうね。まして、宇出津は漁業に加え、北前船等の寄港の基地でもあり、疫病のリスクも高かったと思われます。いかに疫病を水際で阻止するか、あばれ祭りは半端な気持ちを許さない。人々の命がかかった祭礼の真剣さがひしひしと感じられます。

ⓒ石川県観光連盟
あばれ祭りの神輿の担ぎ手の選抜の様子を動画で見ましたが、それはかなり厳しいものでした。「祭り」というと、どこか楽しい、レクレーションの雰囲気がしますがそんなことはありません。酒垂神社と白山神社、それぞれ30人が選ばれます。幸い担ぎ手に選ばれた若者には黄色いタスキが与えられます。選ばれなかった者は、あきらめず再度列に並びます。
わたくしの勝手な解釈ですが、疫病という恐ろしい敵と戦い続けてきた人類。6世紀にはもう日本で天然痘が流行したという記録があるそうです。もう、神仏に祈るしかない。ここは人の精神力で戦うしかない。その戦いに勝つには、すべての人が力を合わせるしかない。
悲しいほどに切実な人々の覚悟が、祭りの骨格を作っているんだと思います。

ⓒ石川県観光連盟
迫力にドがつくほどのあばれ祭りには、やはり士農工商という身分の差のうっ憤を晴らすという側面はあったかと思います。それは当然のことかと思います。そうであっても、人間力で、その集合体で難局を突破したい・・・そんな思いを感じてしまいます。
禄剛崎灯台が漁船を安全に導く光なら、キリコは神様をお迎えする聖火でしょうか。夜のとばりが落ちた頃、いやさか広場は熱狂の渦になります。7メートルもの柱松明が赤々と燃え上がります。広場は太鼓が鳴り響き、お囃子もそれに負けじと最高潮!

ⓒ石川県観光連盟
最終日、存分に痛めつけられた神輿は、八坂神社へ。神輿は満身創痍、担ぎ手は精も魂も尽きているかと思います。しかし、これからが本番だというのですから、過酷な祭礼です。神社への宮入の前にもひと合戦。神輿が松明に投げ込まれ、最後の火攻めの洗礼を浴びます。火の粉は、担ぎ手はもちろん、次代を担う子供たち、観客の皆さん、すべての人に無病息災、家内安全、一年間の幸せをもたらしてくれると思います。