陣太鼓カーボンゼロのギガワット

ⓒ石川県観光連盟

鬼気迫るという表現がありますが、よくぞこれほどのお面を作り上げたと思います。上杉軍の大軍を前にしての怖れ、おののき。一方、理不尽な攻撃に対する怒り。覚悟を決めて村人全員で立ち向かおうという決意。それらの堅い意志を体現した夜叉の面。文字通り神の怒りを表しています。たくましい爺面が力強く太鼓を打ち鳴らします。男幽霊、女幽霊の打ち手も加勢して意気上がります。幽霊とは、名舟村の危機を救い、共に戦うために下界に降りてきた、村のご先祖様ともいわれます。
そして、丸顔に親しみを感じさせるダルマ面。その表情と仏を連想させるオレンジ色の袈裟が、生死を分ける戦いの狭間で、少しユーモアも感じ取れます。
この御陣乗太鼓の太鼓打ちのお面について、驚いた昔の新聞記事がありました。
石川県輪島市の民家から、約400年前の夜叉面が見つかったというのです。
地元紙の「北國新聞」1995年4月19日付けの紙面に掲載されたそうです。
今から30年も前ですが、当時は大きく報道されたかもしれません。
わたくしは驚きました。1995年時点で400年前といえば、1595年。上杉謙信の能登平定の際、七尾城支城の攻略にともなう名舟村の上杉軍撃退の時期が1577年とすれば、この夜叉面発見の話はわずか18年後の出来事です。
「御陣乗太鼓」の伝説は史実かもしれない・・・その実態はもちろん分かりませんが、この新聞記事の概要を少しドキドキしながら読みました。
そういえば、どこかの公演の後で打ち手のおひとりの方が、400年前のお面は地元で大切に保管してある、とお話していましたが、そうだったんですね。
歴史のロマンの一端に触れさせていただき、嬉しく思いました。

ⓒ石川県観光連盟

名舟大祭の祭神は奥津姫命(オキツヒメノミコト)といわれます。名舟大祭においては、上杉軍の攻勢から村を守ることができたのも奥津姫のお陰と感謝し、海中に立つ鳥居へ神輿が船に乗って、舳倉島にある奥津比咩神社の祭神をお迎えします。地元では奥津姫に対する親しみや信仰心が厚いんですね。
舳倉島といえば海女漁が盛んなところですね。アワビ、サザエ、ワカメ、イワノリなど、豊かな漁場です。アワビなどは将軍家に献上したとか。
その奥津姫とは台所の神様だというのです。人が命を繋ぐのに、今の世でも台所はなくてはなりません。かまどの神として、人々の暮らしに災難が及ばないように、かまどの陰からお守りしているんですね。かまどでは薪や炭で火を使いますから、転じて防火の神、火伏の神として、また、そこから豊穣の神としても敬われたんですね。
不器用ながら、わたくしも遅まきながら家庭菜園の真似事をしています。
家の台所の奥津姫に感謝しながら、女房にも小言を言われながら、少しづつ料理も覚えたいと思います。