スピリット姿変えても見附島

本当に美しいですね。見附島。
まさに能登の宝。いや、日本の宝ですね。
奥能登の焼き物で七輪などの「珠洲焼」がありますが、その材料の珪藻土はこの島から採取されるそうです。
別名「軍艦島」船首をこちらに向けて、迫ってくるようですよね。
その見附島も、能登半島地震による崩落で大きくその姿を変えてしまいました。
本来は周囲が400メートル、標高28メートル、長さ150メートル、幅が50メートルもありました。
地震の大きな揺れと、高さ4メートルもの津波により、現在はほぼ半分くらいの大きさになっているようです。
青年の頭髪のように豊かだった樹木も、今はだいぶ少なくなってしまいました。
しかし、能登半島地震は巨大な地震でした。最大震度は7、マグニチュードは7.6。震源は珠洲市の地下16Km、岩盤の破壊は約150Kmといわれます。
普段何気なく日常を送れているって、幸せなことなんですね。一方で、つくづく地球や宇宙は休みなく動いているんだなあと思います。宇宙の生誕から100何十億年、地球の生誕から40何億年といわれます。でも人の寿命は100年足らず。この圧倒的な時間軸の差が、なんとも人智を越えた、どうしようもない、神の世界の領域なのかと、思ってしまいます。
世界最高峰、4000万年前のヒマラヤの山頂付近から、アンモナイトの化石が発見され、そこが太古の時代では海底であったそうです。まさか、世界の屋根が、実は海底だったとは。
「見附島」という名は、弘法大師が佐渡島から能登半島に渡った際、たまたま見つけたことが、その名の由来とされています。
姿かたちは変わっても、半島としっかり絆でつながった島であり続けてほしいですね。

2011年に発生した東日本大震災も、巨大な地震でした。リアルな映像には、言葉を失います。
東日本大震災においては、日本三景のひとつ、松島湾の多くの島々が、押し寄せる津波の盾となり、その破壊力を弱めたと聞いたことがあります。
能登半島地震とは、一概にいえないかと思いますが、それでも見附島が崩落した分は、津波を弱めたんではないでしょうか。
武蔵坊弁慶は最後まで義経と行動を共にしました。怪力無双の荒法師、弁慶は衣川の戦いにおいては、義経を守るべく思う存分戦い、全身に矢を受けながら、立ち往生したと伝えられます。
軍艦島といわれる、往時の見附島の写真からは、つい弁慶の力強さが重なってしまいます。

わたくしは知らなかったんですが、見附島の愛称として、軍艦島のほか、「見月島」ともいうんですね。地元の珠洲市宝立町では、かねてから地域おこしの団体「空海伝説活用実行委員会」が、「月見会」を行なっているそうです。
珠洲市の夜空はさぞかし澄んでいることでしょうね。日本海から昇る月、満天の星々。最高ですね。今年2025年の中秋の名月は10月6日だそうです。この景観を一過性のものにしてはもったいないですよね。
宝立公民館では俳句会や写真会も開催され、作品を展示するそうです。
見附島はだいぶその姿を変えてしまいましたが、やはり、見附島の価値が損なうことはないと思います。
見附島は鎮魂と希望の象徴だと思います。