とも旗は命の起源海のブイ

里海や母なる海に畏敬の念

ⓒ石川県観光連盟

コロナ禍と能登半島地震により、中止が相次いだとも旗祭り。今年の5月には勇壮な船の渡御が行われました。地元の人たちにとって、この大きな大切な祭礼を、実はわたくしも楽しみにしていました。とにかく画像が素晴らしいですね。
20メートルもの大きなのぼり。そこには源平合戦を思わせるような力強い檄文が。
動画を止めて、目を凝らして文字を読みました。
“復興誓能登” “白湾興健児”
大きなのぼりは何百枚もの丈夫な美濃紙で作り、1枚1枚手作業で貼り合わせるそうです。大変な作業だと思いますが、これを地元の小中学生が中心となり、地域の人総出で準備するそうです。とも旗祭りは、もともとが子供さんが小さな船に旗を立て、それを伝馬船に見立てて遊んだことから始まったといわれます。
御座船を先頭に9隻もの船団。華麗な5色の吹き流し。笛や太鼓、鉦の音が空に抜けるようです。
能登の小木港は、イカ、鮭、鱒などの遠洋漁業で日本有数の港として知られていますが、一家の大黒柱が長期に家を留守にするわけですから、子供さんも寂しい思いをしたと思います。やはり、無事に帰って来てください、といった強い願いが込められていたと思います。

小木港は半島の内浦にあり、天然の良港といわれているそうです。古くは北前船の“風待ち港”としても活用されたとのことです。帆を高くあげ風を受けて疾走する北前船は、カッコいいですね。
私事で恐縮ですが、わたくしは波止場や桟橋の雰囲気、子供の頃は戦艦の模型などが好きでした。帆船がマストを高く掲げた写真など、自分には無縁な異国への航海を想像し、うらやましくも思ったものです。カラオケでは、“港町ブルース”が定番でした。
風待ち港っていう素晴らしいフレーズについ脱線してしまいました。

里山や田んぼの江を知る傘寿前

能登半島に稲作が伝来し、水田が開かれたのは弥生時代といわれます。さすが、大陸や朝鮮半島と一衣帯水の関係にある能登半島ですね。土器などのたくさんの遺跡があるそうです。歴史の長さもさることながら、能登半島の地形や海流など固有の環境により、稲作はじめ保存食などの特産品、祭礼などの独自の文化が、大切にはぐくまれてきたんですね。

田んぼの“江”(え)ということも勉強させていただきました。農作業の経験がある方にとってはご存知かと思いますが、わたくしは江を知りませんでした。
田んぼは稲の生育のために田植え後中干しをしますが、その際小さな生き物の生息場所として、田んぼの周囲に細い水路を作るそうです。いわゆる生物の多様性ということと、山側からの湧水を適度に集め、田んぼの地力を強くすることで、おいしい能登米が秋に実るといわれます。平野部が決して広いとはいえない奥能登で、手間を惜しまず、田を愛するがごとく、2000年もの労力のうえに成り立っているんですね。若干、自分に恥ずかしさも感じつつ、大切なことを教えていただき、ありがたく存じます。