かむり雪祈りはひとつ平穏に

かむり雪祈りはひとつ平穏に
力尽き庇い重なるあと数段
天明3年浅間山大噴火 その1
群馬県にはたくさんの温泉地があります。
特に草津温泉は古来より、酸性泉の殺菌力が万病に効くと口コミで各地に広まり、多くの湯治客が訪れました。県民に親しまれている郷土かるた「上毛かるた」にも、“草津よいとこ薬の温泉”と歌われています。“温泉”の部分は“いでゆ”と読みます。
その草津温泉からほど近いところに、吾妻郡嬬恋村鎌原(かんばら)という小さな集落があります。嬬恋村という地名には、ゆかしくも切ない伝説があります。
その昔、「大和武尊」(やまとたけるのみこと)の東征に随行した妻「弟橘姫」(おとたちばなひめ)が東征の成就を祈り、かつ海の神の怒りを鎮めるため、海に身を投じました。大和武尊は先立たれた妻を追慕するあまり、この地の峠より嘆き悲しみ、心深くいとおしみになったといわれます。
時移り、今は「キャベチュー」という、妻や恋人へ大声で愛を叫ぶイベントが行われます。嬬恋村特産のキャベツと相まって、愛の伝説が長く語り継がれています。
天明3年(1783年)夏、ここ鎌原村に浅間山の大噴火が襲いました。その被害は甚大でした。鎌原村の人口570人のうち、生存者はわずか93人と伝えられます。天明泥流ともいわれる巨大な泥流と岩塊は、吾妻川、利根川を経ながらすべてを押し流し、流された遺体は遠く江戸湾や千葉県銚子にまで流れ着いたといわれます。すさまじい爆発音は、近畿地方や日本各地で聞かれたと古文書にあるそうです。
生存者のうち、多くの人々が小高い台地に建てられた、鎌原観音堂に逃げ込みました。わたくしが訪れたのはもう20年近く前ですが、観音堂の石段に掲示されたモノクロ写真は衝撃的でした。
昭和54年(1979年)発掘調査が行われ、石段の中途で人骨が2体、上下に重なる形で発見されたのです。調査の結果、噴火前の石段は50段あり、現在の石段は15段であることから、土石流は35段の高さに達したと判明しました。2名の遺体は女性であり、顔を復元したところ顔立ちがよく似ていて、母子、または姉妹である可能性が推測されました。大噴火から観音堂に避難する際、若い女性が年長者を背負い、石段を懸命に駆け上がろうとするも、土石流に飲み込まれてしまったと考えられます。
わたくしが訪れた時は、観音堂の中に地元の方でしょうか、たくさんの人が犠牲者の御霊を大切に供養するかのように寄り添っていました。
あと少しで助かったのに・・・
鎌原の地では、「生死を分けた15段」として語り継がれています。
